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東京地方裁判所 平成元年(ワ)5279号 判決

本訴原告、反訴被告

東南商事株式会社

右代表者代表取締役

林春男

右訴訟代理人弁護士

小出耀星

笹原桂輔

笹原信輔

本訴被告、反訴原告

大谷唱次

本訴被告

大谷雪子

本訴被告ら補助参加人

室星商事株式会社

右代表者代表取締役

室星正人

本訴被告ら、補助参加人及び反訴原告右三名訴訟代理人弁護士

川口哲史

主文

一  本訴被告らは本訴原告に対し、連帯して、金一五万円及びこれに対する平成元年五月二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  本訴原告のその余の請求を棄却する。

三  反訴原告の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴ともに、これを二分し、その一を本訴原告の負担とし、その余を本訴被告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

(本訴)

被告らは原告に対し、連帯して、金四八八万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成元年五月二日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。

(反訴)

一原告及び被告間において、原告が、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件源泉地」という。)から湧出する温泉につき、左記の内容の温泉供給契約の当事者として受湯権を有することを確認する。

1 期間 昭和六二年一二月一〇日から一〇年間

2 供給量 毎分1.8リットル

3 月額使用料 一五、〇〇〇円

4 特約 施設分担金及び施設補改修基金として二五〇万円を被告に支払う。

二被告は原告に対し、本件源泉地から湧出する温泉を、別紙物件目録三記載の建物(以下「大谷宅」という。)のために毎分1.8リットルの割合で供給せよ。

三被告は原告に対し、本件源泉地から湧出する温泉を大谷宅に供給するための温泉供給管、その他一切の温泉供給設備につき、これを切断する等利用を妨害する一切の行為をしてはならない。

四被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成二年五月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一本訴

本件は、本件源泉地を所有し、そこから湧出する温泉の源泉権を有している原告(以下本訴反訴を通じて「東南商事」という。)が、被告ら(以下本訴反訴を通じて「大谷ら」という。)において、少なくとも昭和六三年一二月から、東南商事との間で温泉供給契約を締結していないのに、東南商事所有の温泉供給管から温泉引込み管を大谷宅につないで温泉を盗取していることを理由に、右温泉供給契約の契約金及び温泉使用料を不当利得され同額の損害を被っており、また、右大谷らの盗取行為を防ぐために東南商事の温泉管を切断したり、その設置状況を原状に回復する工事を余儀なくされ、工事費用相当の損害を被っているとして、不当利得の返還として合計四五八万円、不法行為による損害賠償として三〇万円の支払を請求したものである。

二反訴

本件は、原告(本訴被告。以下本訴反訴を通じて「大谷」という。)が、昭和六二年秋ころ、本訴補助参加人室星商事株式会社(以下「室星商事」という。)を介して、東南商事との間で温泉供給契約を締結したのに、東南商事は右契約の成立を否認し温泉供給管を切断する等の行為をしているとして、右契約に基づく温泉受湯権を有することの確認等を求めたものである。

三争点

本訴の争点は次の1ないし3であり、反訴の争点は次の1である。

1  東南商事と大谷との間で温泉供給契約が成立したか否か

2  右契約が不成立の場合、東南商事が不当利得として請求できるのはどの範囲か

3  大谷らが温泉を利用してきたことが不法行為を構成するか否か

第三争点に対する判断

一争点1について

1  関係証拠〈略〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 東南商事は、かねて、本件源泉地を含む別荘地を熱海とさわ分譲地の名で開発して販売するほか、本件源泉地から湧出する温泉の源泉権を有し、これを右別荘地内の居住者に供給する事業を営んでいた。一方、室星商事は、熱海界隈の土地の建売分譲の業務を営んでいたが、昭和六〇年秋ころ、東南商事から、訴外安養寺氏が所有していたとさわ分譲地内の建物付別荘地の紹介を受け、同年一一月七日、東南商事の仲介によりこれを購入した。その際、右土地が転売予定の物件であることから、東南商事から、まず、東南商事との間でいったん温泉供給契約を締結して契約金として一〇〇万円(温泉施設分担金八〇万円及び温泉施設補改修基金二〇万円)を支払っておき、転売先が見つかった段階で一度だけ無償で転売先に名義書換えを認めるという条件が提示されたため、室星商事は、これを承諾し、同年一二月一二日になって、右契約金を支払い東南商事との間で温泉供給契約を締結した。

なお、その後、室星商事は、右土地を訴外長崎氏に転売し、右温泉供給契約については、予定どおり受湯権者を長崎氏に名義書換えをして処理した。

(二) 右安養寺氏所有の物件の紹介がされた後、室星商事は、更に東南商事からとさわ分譲地内にある訴外橋本慶久所有の土地の紹介を受けた。そこで、室星商事は、この土地に隣接する訴外池田英昭所有の土地と一括であれば購入する旨を伝えたところ、東南商事がこれを了承したので、同年一二月一二日、二区画の土地を一括して購入することとなった。この二区画の土地が、別紙物件目録二記載の土地であり、後の大谷ら所有地である。

室星商事は、右土地が建物付きでないため転売に時間がかかりそうなことから、この土地の温泉供給契約については、この時点で締結することは見合わせ、建売分譲ができる目途が立ったときに安養寺氏の物件の場合と同様に行いたい旨を伝え、東南商事もこれを了承し、契約はしないままの状態となった。

(三) その後、室星商事は、右土地につき、温泉の供給については別途一〇〇万円を支払って温泉供給契約を締結することにより可能であることを明示して転売先を捜した。そして、ようやく昭和六二年七月四日になり、大谷らとの間で右土地についての売買契約の成立に至り、土地の造成及び建物の建築の工事が開始された。

そこで、同年秋になり、室星商事は、右大谷らとの関係で、東南商事と大谷らとの間の温泉供給契約締結のために連絡をとり交渉を開始したが、東南商事の担当者渋沢延彰から、その後の値上げで契約金が二五〇万円となっている旨の回答があった。

室星商事は、右土地購入時の経緯から、契約金が一〇〇円から二五〇万円に値上げされたことに対し不満の態度を示したが、その後、電話で、契約金二五〇万円を了解する旨を伝えた。ところが、そのすぐ後、契約のための事務手続を開始する前に、右渋沢から、契約金が更に三五〇万円に値上げされた旨の通知があったが、室星商事は、これを承服できないとして対立状態に陥った。

(四) なお、契約金については、昭和六二年四月以前に、東南商事の担当者が室星商事に対し、同年四月から二五〇万円に値上げになる旨を予告し、今のうちに契約をすることを勧めたほか、同年夏にも、契約金が再び値上げになる予定なので今のうちに契約をして欲しい旨を伝えたが、室星商事は、いずれもこれに応じようとはしなかった。

そして、契約金は、その後、工事費の高騰等により、予告どおり、同年一二月から三五〇万円に、翌年一一月から四五〇万円にそれぞれ値上げされた。

(五) 東南商事は、温泉供給契約締結に当たり、一定の書式〈証拠略〉を使用しており、契約条項の多くは印刷済みであるが、温泉施設分担金の額、温泉施設補改修基金の額、月額の温泉使用料及び特約条項が空白で残されており、これらの箇所は、契約の都度記入する扱いがされていた。

また、とさわ分譲地においては、契約金すなわち施設分担金及び補改修基金の額は、同一時期においては、受湯権者が異なっても東南商事が内部で決定した金額で一律に処理されていた。

2  以上の認定事実を前提にして、温泉供給契約の成否を検討する。

(一) まず、室星商事は、昭和六〇年一二月に被告ら所有土地を購入する際、これを早期に転売する目途が立っていなかったため、東南商事との間で温泉供給契約を締結することを見合わせたが、その際、転売先が見つかった場合、温泉供給については、安養寺氏の物件についてと同様に処理することが双方で了解された。

ところで、この了解事項が法的にどのような意味を有するかはさておき、その中身は、転売先に温泉を供給すること及び一度だけ無償で転売先を受湯権者とする名義変更に応じることが了解されたと解するべきである。契約金の額については、契約締結が早期に実現した場合は格別、それが長期化することも予想され、契約金が値上げされる可能性もあるので、将来においても一〇〇万円で処理することまで了解されていたとは到底解することはできない(このことは、その後何度か、東南商事の担当者から契約金の値上げの予告がされその前に温泉供給契約を締結することの勧誘がされた点からも窺われる。)。

(二) 次に、室星商事は、約二年後に、被告らとの土地売買契約が成立し、土地の造成工事等が進行し始めたころに、温泉供給契約の締結について東南商事と交渉を開始したのであるが、前示のとおり、契約金及び月額使用料については何も合意されていたわけではないので、これらの点は、新たな交渉事項となったのである。

そこで、東南商事の渋沢が現在契約金は二五〇万円となっている旨を回答し、室星商事がこれを了解する旨を伝えた時点で温泉供給契約が成立したとみるべきか否かが問題になる。

ところで、温泉供給契約は、かなり長期間継続して当事者を拘束することを予定したものであり、また、高額の契約金が支払われるものであるので、その合意が成立するまでの過程において、当事者は、契約内容を吟味し、慎重な検討が行われるはずのものである。したがって、その過程で、双方から口頭ないし電話で条件の提示があり、それがいったん合致した状況が生じたとしても、それが十分に検討された結果のものではない場合もあるので、そのことだけで当然に契約の合意が成立したと判断すべきものではない。

もちろん、契約書が作成され、あるいは、契約金の支払や契約上の義務が一部履行される状況に至れば、双方が契約を成立させる確定的な合意があったとみてよいであろうが、その前の段階においては、再考し、前言を撤回・変更することが許されないものではないというべきである。

そうすると、温泉供給契約は、要式契約ではないが、その成立、すなわち、合意の成立の認定に当たっては、契約書が作成されているか、義務の一部の履行がされているか等が重要な判断要素になるというべきである。また、口頭による合意であっても、条件についての交渉が繰り返されて双方がようやく合意に達し、その点について十分な念押しがされているような場合であれば、契約書作成未了であっても、合意を認定できる場合があろう。

(三) 以上を前提に本件における合意の成否を検討する。

前示のとおり、契約金については、東南商事内部で一方的に決定された金額により一律に処理されて来ており、前記の渋沢の回答は、現時点で東南商事内部で決められている契約金額を通告したものにすぎない。しかも、これが今後変更される可能性を含んでいることは、これまでの経緯から室星商事も十分承知しているものである。そして、渋沢から、程なく契約金が三五〇万円に値上げされた旨の連絡があったのである。

したがって、渋沢の回答は、現場担当者が、現時点で契約するとすれば契約金は二五〇万円を一応考えている旨を通知した事務連絡であって、契約金についての東南商事の確定的な意思表示があったとみるべきではない。

また、詳細に検討すれば、その時点においては、契約の重要な要素と思われる月額の温泉使用料についても未だ話合がなされておらず、温泉の供給量も一口毎分1.8リットルを何口契約するか確定していない状態にあったのであり(もっとも、温泉使用料は東南商事が統一的に決めて処理しており、供給量も容易に合意が成立することが予想されるところではあるが、これらが確定していない状態であったことは事実である。)、これらの点からも、渋沢の回答は、契約成立に至る交渉過程のやり取りにすぎないとみるべきである。

(四)  したがって、渋沢からの回答に対して室星商事が了解した旨を電話で通知したとしても、それをもって、その時点で契約上の合意が成立したとみるべきではない。その他本件全証拠によっても、室星商事を介して、東南商事と大谷らとの間に温泉供給契約が成立したことを認めるにたりる証拠はない。

そうすると、本件反訴は、温泉供給契約の成立を前提とする請求であるので、その余の点につき判断するまでもなく理由がないことになる。

二争点2について

1 東南商事と大谷らとの間に温泉供給契約が成立していないとすれば、大谷らにおいて、少なくとも昭和六三年一二月より平成元年九月二二日まで東南商事の温泉供給管から管を引き込み、温泉を利用していた(この点は当事者間に争いがない。)ことは、法律上の原因を欠くものであり、そのため東南商事に損害を与えたものであって、不当利得が成立する。

ところで、これにより大谷らが得た利得は、一時的なものであって、温泉供給契約における受湯権者の地位(これは長期間継続するものであり、しかも、権利のみならず義務も負担するものである。)ではなく、約一〇箇月間に限った温泉の利用であるということになる。そして、この現物返還は不能であるから、その価格(温泉使用料相当)を返還すべきことになる。

一方、東南商事が大谷らの不当利得により被った損害としては、約一〇箇月間の温泉を無償使用されたことである。ところで、温泉供給事業を営む東南商事としては、温泉の供給は、すべて供給契約を締結し契約金の支払を受けて行っており、温泉のいわば切売りは行っておらず、また、供給が短期間で終了した場合でも契約金の全部又は一部返還する建前にはなっていない。したがって、約一〇箇月間温泉を勝手に利用されたことによる損害としては、契約金相当額及び温泉使用料相当額である。

2  しかしながら、東南商事が大谷らに対して、不当利得の返還として請求できるのは、大谷らの利得の限度であるから、結局、その範囲は、約一〇箇月の温泉使用料相当額ということになる。そして、大谷らが温泉を利用した期間の使用料については、一箇月一万五〇〇〇円である証拠(〈証拠略〉)しかなく、また、月半ばで供給が終了した場合の日割計算措置の定めの存在については証拠がないので、この場合も一箇月分の使用料を支払う建前になっていたことが推察される。

以上によると、大谷らの不当利得の範囲すなわち温泉使用料相当額は、一万五〇〇〇円の一〇箇月分であり、合計一五万円ということになる。

3  なお、東南商事は、本訴の訴状において、不当利得として四五八万円を請求しているが、そのうち温泉使用料相当額としては八万円の主張をしているにすぎない。しかし、不当利得の内容は契約上の対価相当額であり、これが訴訟物であるから、温泉使用料相当額は、不当利得金四五八万円の内訳の意味にすぎず、右一五万円を認容してもこれが請求の範囲を超えるものではない。

三争点3について

1  関係証拠(〈略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

大谷らは、大谷ら所有地を購入するときから、温泉の供給を当然の前提に考えていたが、この点については、室星商事から、供給契約の契約金が一〇〇万円であり、この支払を行いさえすれば問題ない旨を聞かされており、売買代金に付加してその支払を行ったほかは、契約の締結、配管工事等すべて室星商事に一任していた。そして、東南商事の温泉供給管から大谷宅への温泉の引込み管の設置工事も室星商事により行われ、温泉の供給が順調に行われていたので、大谷らは、温泉供給契約が適法に締結され、いずれ使用料の請求がされるものと信じていた。

2  以上によれば、大谷宅への温泉引込み管の設置工事を行ったのは室星商事であり、大谷らは、この間の事情を全く承知しておらず、土地購入の付随業務として室星商事に任せており、その後温泉が供給されたことから、これらがすべて適法に処理されていたと信じていたのである。

したがって、大谷らにおいて、温泉引込み管により温泉を利用した行為は、何ら違法ではなく、故意ないし過失を認めることもできないというべきである(したがって、大谷らの温泉利用を犯罪的な行為であるととらえて、将来にわたり新たな温泉供給契約を新たな条件で締結しようとする和解を成立させないことがあるとすれば、これは適当ではなく、当裁判所としても、蛇足ながら、東南商事において新たにボーリングを行う等双方の協力により、温泉の円滑な供給のための話合いが行われるべきことを期待するものである。)。

以上のとおり、大谷らに不法行為があることを根拠とする東南商事の損害賠償の請求は理由がない。

(裁判官千葉勝美)

別紙物件目録〈省略〉

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